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0としあき 26/08/07(金)20:31:13 ID:mTb00doI
【原爆】「スイカを食べたい」被ばくした姉の最後の願い 二つの山を越える旅 #戦争の記憶
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f141b663e3743cefcd2cead593b937149c8cc0?page=1
広島で育った南部敬之さん(94)=大阪府枚方市=は原爆が投下されて以降、自分の誕生日を祝ったことがない。15歳だった姉の亡きがらをひとりで焼いた日だからだ。爆心地近くで被爆した姉は、奇跡的に無傷で生還。家族は喜んだが、すぐに寝たきりに。何も口に出来なくなった姉が突然、「スイカを食べたい」と言った。嗜好品のスイカは戦時中は栽培が制限されていた。
1としあき 26/08/07(金)20:31:22 ID:mTb00doI
敬之さんは戦争に負けたことより、スイカのことを心配した。「汽車は動くのだろうか。動いてくれないと、
三原に行ってスイカを取ってこられないじゃないか」
 列車は動き出した。しかし、途中停車したために、三原まで行ってバスに乗り換えていてはその日のうちに帰宅できない。
 父が中学時代、毎日山を二つ越えて忠海中学へ通っていたと話していたことを思い出した。敬之さんは
三原の手前の忠海駅で降り、二つの山を越えて親戚の農家に着いた。親戚からスイカをもらった。
 親戚は「夕飯を食べていきなさい」と言ってくれたが、その日のうちに帰れなくなるので断った。
 広島に戻れたのは午後10時ごろ。
 「姉さん、スイカもろて来たよ」。光代さんは食べず、スイカの汁を飲んだだけだった。
「敬之ちゃん、おいしい」とほほえんだ。
2としあき 26/08/07(金)20:31:30 ID:mTb00doI
「姉さんを焼かねばならない。このために俺がいるんだ」
 光代さんを防空壕に運び、木を拾い集めた。襟元に第一県女の校章のバッジがあった。
「これだけは形見に」と外した。
 焼き始めたのは夜の9時ごろ。遺体はなかなか焼けない。明け方3時ごろになってもまだ
頭が焼けない。さらに木を集めた。「とにかく焼けてくれ」
 敬之さんが県立広島第一中学校に合格したとき、一番喜んでくれたのは光代さんだった。
大好きだったお姉さん。焼きながら、涙が出た。悔しかった。空が明るくなったころ、
やっときれいに焼けた。涙はかれ果てていた。
 「地獄やな」。敬之さんは取材に語るとき、涙ぐんだ。
3としあき 26/08/07(金)20:31:42 ID:mTb00doI
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
4としあき 26/08/07(金)20:33:57
>ID:mTb00doI
5としあき 26/08/07(金)20:34:59
>ID:mTb00doI[4]
6としあき 26/08/07(金)20:35:03
午前中の再放送del
7としあき 26/08/07(金)20:35:27
またやってるんだ
8としあき 26/08/07(金)20:42:28
>ID:mTb00doI
バァカ
9としあき 26/08/07(金)21:08:08
地獄やな